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楼主: 飛燕

圣诞大逃亡---88所古刹巡礼之德岛篇

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发表于 2008-1-15 23:00:11 | 显示全部楼层
来晚了,不过还是要顶的,
每次看姐姐的写的巡礼,我的眼睛就跟被着洗涤了一次,呵呵
觉得姐姐是累了。。。

从今天开始回家路上开始捡树枝,准备给姐姐搭个燕窝,让你好好休息,哈哈
发表于 2008-1-15 23:02:25 | 显示全部楼层
嘴甜的小丫头
发表于 2008-1-15 23:18:51 | 显示全部楼层
看得我心痒痒的。。。又想出门了。。。
发表于 2008-1-16 00:15:48 | 显示全部楼层
燕子偷偷摸摸填坑,也不"吱"一声。
好像有一大堆"燕"粉的样子,嘻嘻
 楼主| 发表于 2008-1-16 10:26:05 | 显示全部楼层
原帖由 小懒猫 于 2008-1-15 22:00 发表
来晚了,不过还是要顶的,
每次看姐姐的写的巡礼,我的眼睛就跟被着洗涤了一次,呵呵
觉得姐姐是累了。。。

从今天开始回家路上开始捡树枝,准备给姐姐搭个燕窝,让你好好休息,哈哈



雄鹰的翅膀在天上,燕子的燕窝在心里。

大冷天的,小姑娘早早回家暖和着,别捡树枝感冒啦
 楼主| 发表于 2008-1-16 10:27:51 | 显示全部楼层
原帖由 bullcai 于 2008-1-15 23:15 发表
燕子偷偷摸摸填坑,也不"吱"一声。
好像有一大堆"燕"粉的样子,嘻嘻



吱声了,你没听见而已。

唉。。。私の声が貴方に届きません。。。。
 楼主| 发表于 2008-1-16 19:30:57 | 显示全部楼层
上礼拜开始试着写个日文版。最近上班闲,今天写完了,先贴出来,回头我再慢慢校对。

2007年12月20日~24日 四国88ヶ所巡り徳島編(一)-和文版

12月20日

夜11時過ぎの東京発夜行列車「ムーンナイトながら」の乗った。



大垣まで約8時間。青春18切符を使っているので、東京-小田原間の乗車券を別購入し、1回分の切符が節約できた。

電車でなかなか寝付かず、暇つぶしに後ろの風景を撮った。



ずっと大垣まで同じ席だと思っていたので、かなり寛いだ。しかし、名古屋で車両が切り離される為、慌てて前の車両に移動したが、切り離された後ろの車両より乗客が多くて混雑していた。

21日朝7時ごろに大垣で下車し、二回の乗換えを経て約二時間後に京都駅に辿り着いた。すぐ徳島行きの高速バスの乗り、お昼過ぎに徳島駅に到着し、駅から歩いて5分のところにある素泊まりの宿にチェックインした。

88ヶ所のうちの1番~23番が徳島県にあり、今回は目標を決めずに体調に合わせて気ままに歩くことにした。私は県毎を制覇する「1国打ち」し、更に逆の順で「逆打ち」しているため、まずは23番「薬王寺」に向かった。

徳島駅から鈍行で1時間半近く南に下り、海辺にある日和佐市に来た。23番の「薬王寺」は海岸からちょっと離れた小さな山の上にあった。









日が暮れて、帰途に着くお遍路さん。



日和佐市の大浜海岸は、ウミガメの産卵地として広く知られている。 毎年5月中旬~8月中旬にかけて産卵のためアカウミガメが訪れるのが有名だが、この季節じゃ何も見えない。でもここまで来た以上海岸を見に行かないのが勿体無い。また、冬の海を眺めるのが好きな私がこの機会を逃す訳もない。

今朝大垣についてからほとんど休憩せずに食事を取る暇もなかったから、さすがにお腹が空いてきた。海岸に向かう途中で地元の和菓子屋さんで可愛いウミガメの形した和菓子を二つ買った。お店の人が「うちからのお接待です」と言って、更に小さな和菓子を3つほど袋に入れてくれた。遍路の途中でよくトマト一つ、ジュース一本など地元の人たちからの「お接待」をもらう。断らずに御礼を言って受け取るのが遍路の仕来りで、私もそうした。



小さな漁港を通り、20分ほど歩いた。





海岸でリュックを下ろし、岩に座り込み、和菓子をいただきながら徐々に暗くなっていく海を静かに眺めていた。賑やかな都会からやっと離れて、私はこの海の音しか聞こえない海岸で心の余裕が得られた。



私の遍路小道具。



周りがどんどん暗くなり、夜がやってきた。1時間も海岸で座り込んでいた私が腰をあげ、徳島に戻る為に日和佐駅に向かった。何気なく振り向くと、ライトアップした日和佐城と光る小さなクリスマスツリーが見えた。小さいながらもそれなりの工夫を凝らし、歴史文化を大事にし、時代遅れにもなってない日和佐市だった。



徳島駅に戻ったのは夜8時半過ぎで、宿の近くの蕎麦屋さんで鍋焼きうどん(私は蕎麦を好まない)を食べ、身体を温めた。



私にとって、都会から離れるのが一番の憩い。旅に出ると、お酒もほとんど飲まず、早寝早起きの健康な生活リズムに戻る。この日も12時前に電気を消して寝た。


12月22日 雨

朝方の6時ごろに外のザーザー降る雨の音で目が覚め、「こんな日に寒い山道を一人で歩けるかしら。。。」と悩み始めた。フワフワの羽毛布団に包まれて、溜まっていた疲れがジワジワと体の隅々から出てきて、私は意識朦朧してきて、そのまままた深い眠りに落ちた。

今度はお昼前に目が覚めた。だるい~!と思いながら、布団を出た。雨が大分小さくなったから、午後は徳島城址に行くことにした。

徳島城は約420年前に蜂須賀家政が四国征伐で勲功があったため、豊臣秀吉から賜った18万6千石の阿波一国だった。その後、大規模な平山上を構築し、江戸時代を通じて徳島藩蜂須賀家25万石の居城となった。明治時代に廃城となり、場内の建築も破壊された。城址のままで今まで残されてきた。



お城境内に城博物館があった。そこで覚えのある名前-「長曾我部元親」を見た。そう言えば、前回高知県を廻る途中で、33番の長曾我部家の菩提寺でもある雪渓寺の近くに四国統一を成した長曾我部元親のお墓があった。

博物館の隣に江戸時代に作られた石組みによる桃山式の庭があった。雨が降っていたせいで観光客は私しかいなかった。静かだった。雨がときたま一滴、二滴と零れ落ちてきて、池の中でさざ波を立たせた。



この日は思い切りのんびりし、夕食は昨日と同じところで食べて、同じぐらいの時間に寝た。

12月23日

4時半に起きた。コンビニで朝食を買い、5時47分徳島発のJR始発で新野に向かった。休日の早朝電車は空いてて、私は揺られながら朝ごはんを電車で済ませた。

一時間後に私は新野駅で降りた。



少しずつ空が明るくなってきた。今日は晴れそう。



22番の平等寺は駅から徒歩20分で近かった。



東京は既に冬の色に染まっているが、気候温暖の四国ではまだ秋が未練たっぷりと足跡を残しながら去って行ってる。

男厄抜坂と女厄抜坂があった。「一つも女性らしさが見えない」とよく言われる私はさすがにここでは素直に女厄抜坂を登った。



平等寺の境内からの眺め。



平等寺から出たのは8時前だった。空は完全に晴れて、太陽も昇った。空も山脈も空気も洗われたようにきれいだった。私は軽い足取りで広々とした田んぼの中で歩いた。



早く起きてなければきっとこんな景色が見れなかっただろうと喜んだ。



21番の太龍寺に行くのに私は山内中バス停に着いた。時刻表を見ると、後1時間近く待たないとバスが来ないようであった。待たずに先に進み、二駅先でBusに乗ろうと思って、また歩き始めた。道中は道端に落ちた小さなみかん拾ったり、鼻歌を歌ったり、スキップしたりして、一人楽しく歩いた。

しかし、バス停を見逃して、気付いたときは既に二つ目と三つ目の駅の真ん中にいた。時計を見ながら、慌ててダッシュで三つ目の駅に走り、ギリギリでハーハーしながら後ろから私を追い越して、少し待ってくれたバスに乗り込んだ。

バスを乗ること15分、21番の太龍寺に登るロープウェーの駅で降りた。太龍寺は高さ600mの頂上にあり、高さから見ると大したことはないように思うが、ロープウェーから外を眺めると、多分自分で登るなら、4時間はかかるだろうと思った。
<>br/>

山にあるお寺はほとんど山門に入ってからも更に長い石階段を登らないといけない。







太龍寺を出て、徒歩で山道を下った。途中でたまに上りのお遍路さんに出会い、「お疲れ様」と挨拶を交わした。一時間ほどひたすら歩き、やっと国道に出た。20番の鶴林寺は国道の向こう側の山の上にあった。

鶴林寺に登る遍路道の入り口で休憩を取った。地元のおじいさんがわざわざ道を教えてくれて、大きなみかんを5つと健康ドリンクを1本持たせてくれた。みかんを食べながら休憩している間に自転車で廻る若い兄ちゃんも入ってきた。彼にみかんを二つ裾分し、お互いの廻るルートなどを雑談した。時は既にお昼過ぎ、周りは民家以外に食堂が1軒も見当たらず、空いたお腹をみかんでなんとか。。。

20分ほど休憩し、自転車遍路の兄ちゃんに手を振って鶴林寺に向かって歩き始めた。この時期はお遍路さんが少なく、道中はずっと一人で、聞こえるのは鳥の鳴き声、自分の足音と両人同行と書かれている金剛杖につけてある鈴のちりんちりんとした音だけだった。荷物を背負っているため、肩が段々痛くなってきた。終わりがないように思える延々と続く雨の後の滑りやすい険しい山道を黙々と歩いた。そのうち頭の中も真っ白になれた。





歩いて三時間、真っ赤な顔でやっと鶴林寺の本堂の下に辿り着いた。階段の下で息を整え、一服していた。



帰ろうとしているところのバスツアーで廻る年配の団体に会い、皆から「お疲れ!」、「頑張ってね!」と励まされた。白髪のおじいさんから「お守りをあげる」と一枚金色の納札をくれた。私はそれを見て驚いた。確かに50回以上廻った人だけは金色の納札が使えると聞いているからだ。札の裏を見ると、やはり「82回目」と赤い判子が押されてあった。私は思わず頭を下げて丁寧にお礼した。おじいさんは私の肩を軽くただいて、「しっかり歩いてね」と一言を言って去っていかれた。 ※納札下記の図のように回数によって色が違ってくる。私は初めてなので、白の納札を使っている。



鶴林寺境内。











鶴林寺を出たのは夕方4時ごろで、次の19番まで3時間の道のりがあり、お寺が閉まってしまうので今回は鶴林寺で終わりにした。

下山は早かった。1時間も足らずで山を降りた。生名と言うバス停で徳島行きのバスを待っていた。40分近く待ち時間があるため、おばあちゃんがやっている売店でチョコレートを買い、道端にある小さな村の消防署前にある空地でチョコを食べながらバスを待った。





その間に何人もの通りかかった村の住民が足を止めて、あれこれと話しかけてくれた。

おばちゃんが来て-------若い人がどんどん出て行き、村が年寄りばかり残った為、皆でアイディアを出し合い、道の駅を作ったりして村興しを図っている話;あの有名な年収1000万のおばあちゃん」(全国の料亭などに飾り用の葉っぱや梅、桜の花など料理のつきものを商売にし、年収1000万を越えた八十何歳のおばあちゃん)はこの村の人で最初は誰も彼女のやろうとしている事業は絶対に儲からないと思っていたのに。。。との話。 車を空地でユーターンしようとするおじさんが車から降りてきて-------5月に太龍寺に行くお遍路さんが山中で遭難し、ヘリコプタで吊り上げられて生還した話。 自転車で通りかかったおばあちゃんが自転車を降りて-------「うちの主人と来るまで88箇所を何回も廻ったわ」との話。 先の車のおじさんがいつの間にかまた車で戻ってきて、今度は江戸時代の手描きの遍路地図のコピーを持ってきてくれた。 。。。。色んな人に出会い、いろんな話を聞いている間に、チョコレートも食べ終わり、周りが暗くなってきて、バスがやってきた。

バスは一番前に座っている一人のおばあちゃん以外に、他の乗客はいなかった。私は後ろに行き、背中から荷物を降ろした。バスがゆっくりと走り出した。私は運転手さんがおばあちゃんとお喋りしていることに気付いた。運転手さんの口の横には放送用のマイクがついているので、彼の話は丸聞こえだった。おばあちゃんが途中で降りて、案の定、運転手さんは私に声をかけた。「お遍路かい?」、「何箇所を廻った?」、「歩き遍路なの?」とかあれこれと雑談が始まった。私はマイクがないので、仕方なく一番前に行って淋しがり屋の運ちゃんに付き合った。こっそりと運ちゃんの横顔を覗いてみたが、40代の格好いい人だった。

徳島まで1時間はかかると聞いたとき、「えっ、1時間もお喋り?」と気が遠くなりそうだった。幸い途中で乗客が増えてきたので、私は隙間を見て居眠りした。徳島に着く10分ほど前に目が覚めた。頭を上げた途端に運ちゃんの声が飛んできた。

運ちゃん:目が覚めたかい?
私:は。。。い
運ちゃん:疲れたろう?
私:そうだね。
運ちゃん:お酒を飲むん?(かなりお誘いの口調)
私: (びっくり)、、、飲まない。と言うか飲めない!(自分の中で「嘘付け~!」)
運ちゃん:そうか。。。(残念そう)じゃあ、キューイは好き?
私:好きです。
運ちゃん: 送ってあげようか?
私:(はー??!!)いやいや、いいですから、ありがとうございます。(この運ちゃんは何を考えているやら。。。)
運ちゃん:そうか。。。(またも残念そう)

やっと徳島駅に着き、この訳のわからない会話がやっと終わった。バスを降りるときに運ちゃんがみかんを一つくれた。私はお礼を行って降りていった。後ろから運ちゃんの捨てゼリフ-「さよ~なら」が聞こえてきた。

私は歩きながら思わず笑ってしまった。マイク付きでナンパ-----この運ちゃんは、すげー!!!

コンビニで晩御飯を仕入れ、宿に戻った。風呂上りにニュースを見ながら、缶ビールを一本飲んだ。風呂上りのビールはうまい!バスの運ちゃんに嘘ついて申し訳ないが、酒虫は彼の一言で湧いてしもうたわ!(^^)!

でも缶ビール一本で既に瞼が重くなり、8時もなってないうちにそのまま寝てしまったZzzzzzz。。。。。

12月24日

朝6時15分の京都行きのバスの乗った。昨日残った一本の缶ビールはお礼として部屋のテーブルの上においてきた。

昨夜ぐっすり眠れたので、今日は朝から元気満々。バスの中で太陽が海から上がってきたのを眺めた。



途中で鳴門大橋を通過。



9時に京都駅についた。大阪にいる親友の加藤さん夫婦が既に待ってくれていた。何年ぶりの再会で、三人とも心底から喜んだ。豊国神社、南禅寺を散策し、11:00に湯豆腐の「奥丹」に一番乗りで入った。

豊国神社









「国家安康」の鐘。



南禅寺







南禅寺の山門の上から「大文字」が見える。



湯豆腐の店----「奥丹」。











1時に京都駅で加藤さん夫婦と別れ、帰りの電車に乗った。青春18切符なので、もちろん新幹線は乗れない。乗換えを何回も経て、品川についてのは夜10時だった。

毎回が同じだけど、私は山でいくら歩きつかれても翌日になるとまた歩きたいと思うのに、東京に近づくと、「帰りたくない!」と自分の中の叫び声が聞こえる。私はいつも都会で心に垢や塵埃を溜めては旅に出て心の洗濯をしている。 [ 本帖最后由 飛燕 于 2008-1-21 16:50 编辑 ]
发表于 2008-1-16 23:14:43 | 显示全部楼层
燕子厉害,日语也这么能写!羡慕ing
喜欢这两张

三条腿,走残了的飞燕,有意境

换了老蔡,似乎也找不到更好的视角
发表于 2008-1-16 23:19:39 | 显示全部楼层
燕子拍照的构图也越来越好了。
 楼主| 发表于 2008-1-16 23:44:23 | 显示全部楼层
原帖由 bullcai 于 2008-1-16 22:14 发表
燕子厉害,日语也这么能写!羡慕ing
喜欢这两张

三条腿,走残了的飞燕,有意境
http://i235.photobucket.com/album ...


嘻嘻,我也喜欢那三条腿的。

那张桥上的,是我坐在Bus里拍的,本来左前方总有个大卡车挡着一点,Bus司机特意帮我让开了给我拍照的。
--------天下还是好人多呀~~~当然我家牛弟可算是典范哦~~

嘿嘿,乐了吧?
 楼主| 发表于 2008-1-16 23:45:07 | 显示全部楼层
原帖由 938fg8 于 2008-1-16 22:19 发表
燕子拍照的构图也越来越好了。


谢坛主夸奖,托大家的福呢。
发表于 2008-1-16 23:56:01 | 显示全部楼层
那张桥上的,是我坐在Bus里拍的,本来左前方总有个大卡车挡着一点,Bus司机特意帮我让开了给我拍照的。

怎么这么好,看样子美女还是有优势。这样的情况,一般都是"我走开"
 楼主| 发表于 2008-1-17 00:38:47 | 显示全部楼层
原帖由 bullcai 于 2008-1-16 22:56 发表

怎么这么好,看样子美女还是有优势。这样的情况,一般都是"我走开"



看了半天才看懂,狂笑
发表于 2008-4-16 22:59:45 | 显示全部楼层
我问问你的50次什么意思???
难道那个老人家88所古刹每个去了50次???
还是已经去过了50所古刹啊???
迷惑中。。。
发表于 2008-4-16 23:02:57 | 显示全部楼层
燕去巢空ing

你先慢慢迷惑吧
发表于 2012-6-22 22:45:14 | 显示全部楼层
经典老帖回顾。
 楼主| 发表于 2012-6-25 18:17:05 | 显示全部楼层
连这个帖子也给翻出来了,自己也顺带回顾了一把。

说实话,觉得那时候拍的片子比现在强多了。心静则铁腕啊。
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